知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。
どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。」
| — | yshhrknmr’s notes (via fishandmush) |
| — | yshhrknmr’s notes (via fishandmush) |
ViewSonic Android Smart Display VCD22

ViewSonic、Android 端末としては超大型 22インチ サイズディスプレイの「Android Smart Display VCD22」を準備中。2012年6月5日より台湾にて行われる Computex 2012 にて発表、展示予定。
■ スペック


米国企業、ViewSonic は台湾でにて2012年6月5日~9日までの期間行われる世界的イベント「Computex 2012」に向けて、大型ディスプレイを採用した Android 端末「Android Smart Display VCD22」を発表準備中。
21.5インチ LED液晶 アンチグレアコーティングを施したディスプレイを採用。FHD(1920×1080)の大解像度を実現し、デュアルコアプロセッサ等を搭載した高性能モニターになります。
タブレットの部類にしようか迷ったのですが、大きさ的に持ち歩くものではないですし、製品名にもタブレットではなく「ディスプレイ」としているためカテゴリーは「TV – テレビ」にしました。また専用の固定スタンドも付属するようです。
2012年6月5日に正式発表、実機展示公開となる予定ですので、「VCD22」の新しい情報が入りしだいこのページにて随時お知らせしてまいります。
ViewSonic Android Smart Display – Computex 2012
http://www.computextaipei.com.tw/
ViewSonic VCD22: „Android Smart Display“ – Androidnext.de
http://www.androidnext.de/
| — | ViewSonic 大型 22インチ Android 搭載モニター「Android Smart Display VCD22」を Computex 2012 にて発表予定 | Google Pad (via helghast4) |

Googleは、パートナーのSamsungと共に今日(米国時間5/29)、Chromebookの新型機と初のデスクトップ機Chromeboxをロンチした。
Chromebook(Samsung Series 5)の方は、最大の売りが高速化だ。初期のモデルは電池にやさしいIntelのAtomを使用したため、力不足が感じられた。今回はIntelのCoreプロセッサを使用し、RAMは4GB、HDカメラ、USB 2.0のポートが二つ、1280×800のディスプレイを搭載する。お値段はWiFiオンリーの449ドルから、となる。
というわけでノート機は相当なアップデートだが、今回の興味の中心はなんといっても初のデスクトップ機Chromebox(329ドルから)だ。それはChromebookのMac Miniふうデスクトップバージョンで、ポートの数が〜bookより多いがSDカードリーダーはない。でもそれ以外では、〜boxと〜bookの仕様はよく似ている。Googleが今回初めてChromeOSをデスクトップ機に載せたのは、一般のビジネスユーザにとってもブラウザをメインのインタフェイスとするオペレーティングシステムが十分に魅力的なはず、と考えたからだ。
Chromeboxは合衆国では数週間後にBest Buyから発売される。イギリスではPC WorldとCurrysの店で今すでに買える。
これらと並行してGoogleは、ChromeOSのさらにもっとWindowsふうのバージョンを安定版として本日リリースした。Googleはそれを“アプリケーション中心型のユーザインタフェイス”と呼んでおり、これまでのブラウザ画面だけのインタフェイスではなく、ふつうにウィンドウマネージャがある。この新しいインタフェイスが今後のChromeOS製品のデフォルトになるようで、既存のChromebookのUIも、アップデートによりこのUIに置き換えられる。
GoogleがChromeOSにここまで力を入れるのは、“セットアップと展開が容易なためPCまわりの費用を従来の半分以下に抑える”と考えるからだ。Googleの試算では、Chromebook一台と通常のノート機一台をそれぞれ3年使用したときの発生費用は、前者が後者よりも4500ドル低いそうだ。この点を強調するためのGoogleは、ChromOSのユーザ現場でのサクセスストーリーを集めて発表しているが、たとえばDillard’s Incは、同社の数百店の小売店舗にChromeboxを配備し、またカリフォルニア州立図書館は州内各地の図書館における図書貸し出し業務用におよそ1000台のChromebookを導入するそうだ。
さらに今回Googleは、企業用と教育機関用の管理サービスやサポートサービスの料金体系を改訂する。管理コンソールを提供、24/7の電話サポートと、ハードウェア保証の期間延長、この三点セットに関し企業はデバイス1台につき150ドル、学校は30ドルを一度だけ支払う。Googleのこれまでのサポートは月額会費制だったが、これからは一度払えばそのデバイスの全生涯、となる。
これまでは、Google Docsにオフラインモードがないことが、多くの潜在ユーザをChromeOSから遠ざけていた。しかしどうやら、オフラインのGoogle Docsはもうすぐサポートされるらしい。Googleはその時期について、“数週間後”と言っている。その間、今回のChromebook新型機ではGogo Inflight Internetの無料セッションが12回ぶん提供される。

| — | 「江戸しぐさ」に学ぶ、嫌われる言葉遣い (via tumbmats) |
まず最初に言っておかなくてはいけないのは、「表現の自由は媒体を問わず尊重されなくてはならない」という大原則です。小説ならOK、漫画だとダメ、映画ならOK、ゲームだとダメということはそもそも間違いです。そこから考えましょう。
それから、『有害コミック』については興味もないし、むしろなくなってほしいとお考えの方にも、もう少し考えて頂きたいと思います。これは最近話題の、同性間の婚姻を巡るスピーチと同じロジックで考えることが可能です。「あなたにとって必要のない権利でも、切実にそれを求める人がいる」。
次の視点。一例として石原都知事は「ナボコフならいい。表現も綺麗なところがあるし」という発言をしました。ずいぶん前の筒井康隆の断筆宣言のときに浅田彰は「筒井のような二流の作家がタブーなき言語の聖域などというな」と発言。逆に小林よしのりは「筒井さんは何を書いてもいい」と擁護。
私はこの三者の発言のどれにも賛同しません。嘆かわしい思考水準だと思います。芸術的力量という曖昧な物差しをそれぞれに当てて、「この表現は自由」「これはなし」と決めることはできないのです。一流の作家ならOKという前提そのものが間違っています。
演劇の分野でもいろいろなことが起こりました。シュニツラーの『輪舞』、ヴェデキント『春のめざめ』など、二十年近くまともに上演されなかった戯曲があります。後年正当に評価された幾つかの名作の影には、知られずに消えていった作品が山のようにあるということです。もちろん作家も。
日本で起こった悲劇は、徳川幕府が女性の演じる歌舞伎を全て禁止してしまったことでしょう。国が乱れる、と幕府が感じるほどに大人気だった芸能がどんなものだったのか、我々はもう知ることができません。損害を被ったのは女性の歌舞伎役者たちだけではなく、数百年後の我々全員でもあるのです。
さて。ドストエフスキーの『悪霊』は50年ものあいだ、完全版の出版が叶いませんでした。少女を陵辱する場面があったからです。コミック規制を主張する人は、『悪霊』を十九世紀版に戻せ、ともいうべきです。やっていることは当時のロシアの役人と同じだということを、少なくとも自覚すべきです。
一流の小説家ならいいが無名の漫画家はだめだ、というロジックが通用しないのは、述べたとおり。媒体の性質や作者のレベルをもって、表現の自由に差をつけることは誰にもできないという原則を何度でも確認する必要がある。
唐沢なをき『電脳なをさん』の722号を見てみよう。ヒトラー似のへんなおじさんが「きんもーっ」の大号令のもと、都条例改正による表現規制を推進していく。ここで「きんもーっ」が出てくるのは正しい。青少年を守ろうといいながら、実は自分が気持ち悪がってるだけだろ、という批判だ。
「自分が気持ち悪いだけじゃないの?」という指摘をしたのは、私の知る限り唐沢なをきただ一人だ。そしてこれは実のところ、正鵠を得た重要な指摘なのではないだろうか。「気持ち悪い」→「一掃したい」→「(後付け)青少年にもきっと有害だよね!」というロジックで規制論が起こるのではないか?
だから、「実際の性犯罪を誘発しているか」の議論が無視されてしまう。「気持ち悪い」「青少年に悪影響を与えないはずがない」のほうが彼らにとって百万倍も大事だから。しかし、そこで立ち止まらなくてはならないのだ。本当に「有害」なのか。有害と無害の境界線を引くことはできるのか。
表現そのものに「有害性」はない、という内田樹氏の明確な指摘も参照されたい。 http://t.co/KkIrEW0W
チョムスキーのいうとおり、ヴォルテールは「自分にはヘドがでそうな思想であってもその表現の自由は徹底的に擁護する」と述べた。200年も前のことだ。不快で、広い共感を得られにくい表現こそを守っていくことが必要なのだ。青少年保護を楯に自分の清潔感を守ることをしてはいけない。
児童ポルノの単純所持禁止、についても疑問提示。例えば、全裸の少年少女たちが登場する寺山修司の短編映画をビデオで所持していたら逮捕されたりするんでしょうか? されないとしたら根拠はなんでしょう? 芸術作品とポルノ作品とは誰が区別してくれるのか。
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表現の自由について、幾つかの指摘 - Togetter (via futashika) うむうむ。そして、「だからこそ日本人は『表現の自由』なんてものに耐えられない」と私は思っているのだ。「『表現の自由』という重荷に耐えられない、もうこの重荷を下ろしたい」と考えている日本人が次第に増えてきており、今後もさらに増えるだろう。 (via raurublock) |
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Twitter / @RPM99 (via soulsphere) 目立つ個性なんて持っていなくとも、その場限りの嘘で取り繕えばいい。だって後々それらが求められることはないのだから。社会が欲する社畜とは没個性なモノ。 (via waq3) |
| — | 才式 (saisiki) on Twitter (via plasticdreams, hitorinoyoru) (via magez) (via realemotionaltrashbox) (via peckori) (via takojima) (via puruhime) (via myu65) (via rio-t) (via toyolina) (via 0shun) (via takenao) (via nemoi) (via suzukichiyo) (via smms333) (via limuco) |
今日は娘りなの言葉の話です。りなは、先月3歳になったばかりです。日本語とロシア語という二つの言葉が負担なのか、個人的な特徴なのか、しゃべり始めたのはつい2~3か月前です。しかも、しゃべり出したのはなんと、ロシア語ではなく日本語でした。
私たちが今いる環境はどう考えてもロシア語の方がよく耳に入ります。子供たちとまる一日一緒に過ごすベビーシッターもロシア人ですし、幼児教室も当然ロシア語です。りながしゃべる言葉はロシア語になるだろうと、私たち夫婦は当たり前のように思っていました。
しかし、ふたを開けてみたら日本語でした。
家族4人でいるとき日本語でしゃべっているから、それが決定的だったのかなと思います。やはり、この年齢の子供は家族の方が一番影響が大きいのでしょう。あ、そういえば、日本語の環境が足りないことを心配して、アニメなども、ロシア語よりも日本語の方がよく見せていたということもあるのかもしれません。
さて、りながしゃべり出して困ったのは、うちのベビーシッターです。7か月からりなの面倒を診てくれているのに、ここに来ていきなり話が通じなくなってしまったのです。「そうか、この子、外国人だったのね~」とベビーシッターは頭をかかえてしまいました。
ただ、言葉が通じないといっても、りなの方はベビーシッターのロシア語を全部普通に理解しています。問題は、返す言葉は全部日本語のみ!仕方がないから、ベビーシッターは「見て」「どこ」などの簡単な日本語を必死に覚えようとしました。しかし、大人は三歳児に追いつくわけがない。りなが日に日にしゃべる言葉が増えるから、ベビーシッターは日本語を覚えるのをあきらめ、息子のゆうき(7歳)に通訳を頼むしかなくなりました。こうして、「いきなり外国人になってしまった子」りなとベビーシッターの不思議な暮らしが2~3か月続いたのですが、4月に入ってさらなる変化が起きました。
りなは、ベビーシッターは日本語が通じないことに気づき、ベビーシッターに対してだけ、ロシア語をしゃべるようになったのです。
普段なら私とベビーシッターは同時にりなのそばにいることはほとんどないです。しかし、この前子供たちを予防接種に連れて行ったときベビーシッターも一緒だったので、興味深い場面を観察することができました。
おもちゃのゾウさんをとってほしいと、りなは私に向かって「ママ、ゾウさん」と日本語で頼んで、そのすぐ後にベビーシッターに向かって ”няня, слон” と同じ内容をロシア語で言いました。そういう「ダブル」のセリフはいくつも飛び出しました。ベビーシッターと話してわかったのは、4月に入ってぐらいからゆうきの通訳が要らなくなり、りなは必要なことを全部ロシア語で言えるようになったそうです。
しかし、私に向かってロシア語を一切しゃべらないので、わが娘のロシア語を聞けたのは、病院に行ったそのときだけでした。そして、私が観察できた範囲で言うと、りなは日本語の方がロシア語よりもずっと上手です。たとえば、日本語で普通に「文」を言えるのに、ロシア語はまだまだ単語レベルでした。
この年齢の子供は自分の周りに違う言語が存在していることをどこまで理解できるのかわかりませんけれども、少なくとも大人のように「論理的」にはわかってないと思います。となると、ほとんど「反射的に」使い分けている、そういうことになるのかな?
それにしても、いったい何でロシア人の母親に向かってちっともロシア語をしゃべろうとしないのだろう?ゆうきとしゃべるときなど、ロシア語をしゃべっている私を毎日のように目の当たりにしているはずなんですけど・・・。
ちょっとナゾです。
| — | 娘の言葉:日本語とロシア語のどちらが勝つ???:ロシア駐在日記 (via twinleaves) |